あぁ〜、なるほど……。そっかそっか…と。
エンディングのクレジットを見て、なんで新生版「渡る世間は鬼ばかり」と言われても
おかしくなさそうな本作が作られたのか、ようやく少しだけ腑に落ちましたよ。
あなたは決してひとりぼっちじゃない…という裏テーマも込められたあのタイトルは、
内容はもちろんですが、先に旅立たれてしまった脚本家・橋田壽賀子さんと
「渡鬼」で長年絆を深め合ってきたスタッフの方々の関係性も意味していたんでしょうね。
残された我々がまだ生き続けている限り、橋田先生の作家魂を
これからも作品を通して届けていく…そんな意思表示を感じさせた作品ではありました。
ただねぇ…そうやって趣旨を後々理解出来たとしても、
やっぱり描写の時代錯誤感は否めなかったかなぁと。
「渡鬼」を長年か、一度でも見た事のある視聴者なら、
雰囲気の懐かしさが先行して、時に”同窓会ノリ”で当時と照らし合わせて
ツッコんだりしながら楽しめるんでしょうけれども、
ほとんど見た事のない私からしたら、昭和ならではの味わいを
そのまま令和に持ってきた印象が強かったんです。
特に、相手の接近の仕方がね…
いや今時そこまでグイグイ行く!?ってシーンばっかりだったんですよ(笑)
例えば、人の個人情報をペラペラ喋るプライバシー皆無の世界だったり、
まだ数回しか会っていないお客の住所を聞きつけては、おにぎりを持っていく女将だったり、
赤の他人が救急車の中で出産に立ち会ったり、
せっかく来たんだからおにぎり食べて行きましょうよ!なんて言って
腕を引っ張ったり(さっきまでズカズカ踏み込んでくるな!って怒鳴ってた人が…w)。
もし2,3年前のコロナ禍真っ最中で本作が作られていたとしたら、
あまりの距離感のなさに、内心ソワソワしながら見てしまっていたかもしれません(苦笑)
2時間で収めたからなのか、お互いの人間模様も基準が曖昧で、上手く掴めないままでしたし。
感情の起伏も「えっ、ここに至るまでの過程、いくつかすっ飛ばしました?」ってくらい
激し過ぎる気もしましたね。
そこで、なぜそんな唐突感を覚えたのかを考えるとするなら…
同じ”お節介”が周りを巻き込んでいく作風でも、
「渡る世間は鬼ばかり」は、コミュニティの構築を何十年にもわたって描いてきたから
成功したんじゃないかと思っております。
見ていない私が言うので、あくまでも想像の範囲ですが…
自分の人生を、劇中の人物を照らし合わせながら見る
“写し鏡”的な面白さがあったんでしょう。
家族やパートナーと過ごし、近所の人々との繋がりが長く続いている限りは、
喧嘩して、反省して…を何度も繰り返す。
仲直りしたはずなのに、新しいシーズンになるとまた揉めていたりする(笑)
その積み重ねでそれぞれ折り合いをつけて行って、強固な関係性を築き上げていく。
日常がベースの作品なのでドラマチックな展開はなく、ある意味堂々巡りではあるけれども、
それを”人間あるある”としてクスッと共感出来る物語として昇華するのに長けていたのが
ヒットに繋がったのではないかと考えます。
まぁ、当時とは違って、今は木曜21時の放送枠はなく、
現在のプライム帯3枠のカラーに昔ながらのホームドラマが
ぴたりとハマらないっていうのもあるんでしょうし、
出演者の方々のスケジュールや年齢を考慮しての
本作(=単発ドラマ)だったのかもしれませんが。
相葉雅紀さんや仲野太賀さんという、石井ふく子P作品においては
珍しい役者さんを起用したなら、もっとそのフレッシュさを活かして
諸々の心情描写や背景を令和仕様にアップデートさせる事にこだわるか。
あるいは、公式サイトに書かれている「石井が最も親交の深い故・橋田壽賀子に
捧げる物語でもある。」という想いを残したいのであれば、
いっその事、キャストもお馴染みの役者さんでなるべく揃えて、
当時の回想を時々盛り込む形で
「渡鬼の世界で生きる人々の”その後”」を軸にした内容にした方が、
本作に疑問符が浮かび上がる事も少なかったのかもしれませんね。
何と言うか、新しさを取り入れたいのか、昔懐かしい雰囲気で楽しませたいのか…
そこら辺も中途半端だったのかなぁとも思います。
最後に、おにぎりの型といい、見た目といい、
どことなく「ぼんご(東京にある人気おにぎり屋さん)」に似ているなぁ…と思って見ていたら、
やっぱりその店の女将・右近由美子さんが「おにぎり指導」として
制作に携わられていたんですね。
テレビで見てから、気になっているお店の1つです。
卵黄やそぼろを載せたおにぎりが美味そうでね。いつか食べに行ってみたいんですよ…w
Source: りんころのひとりごと。
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