いつも見慣れていた大きな鳥居のある通りで式を挙げる序盤から、もう涙が止まらない…。
瞳(奈緒)や雅彦(木梨憲武)が行き来する際に画面に映る鳥居が、
こんな住宅街に建ってるんだなぁ…それがまるで、神様が見守っていてくれているかのようで、
何かご縁が訪れてきそうで素敵だなぁと印象に残っていたんだけれども。
出産の様子を収めたあのDVDや瞳の名前の由来などで、雅彦が「忘れられない思い出」として
「瞳が産まれた時」をずっと大事に想い続けているように、
瞳にとってはあの通りが、長い間父と一緒に過ごしてきた思い出の”象徴”であり、
父に感謝の気持ちを伝えるためにどうしても必要な場所だったのだと想像したら、
ボロボロ泣けてきちゃいました。
真昼の日光に照らされた花嫁姿の瞳が、とても綺麗でね。
外で式を挙げると、微笑む表情があんなに柔らかく、温かく、優しく…
そしてちょっぴり儚く見えるものなんですね。
風に吹かれてヴェールがふわっと揺れる所も含めて、うっとり見惚れてしまいます。
今度はセレモニーホールへ移動して、父と娘2人っきりに。
展示されている数々の写真を見ながら、当時の出来事を語り合う。
個人的には、最終回であるあるの畳み掛けの回想に弱いタイプではあるんですが、
2人と同じ”展示会に来たお客さん”のつもりになって写真で振り返っていく見せ方も、
変にお涙頂戴に寄せてなくて好感が持てるなぁ…と思ったりしたのでした。
「旅立ちの式」はある意味、結婚式と生前葬がセットになった式。
生前葬は…実際はドラマでしか見た事がありません。
でも、「生前葬」って言うから特殊に聞こえてしまうだけで、
先生にもケイトにも再会出来て、友達や家族に囲まれて嬉しそうな雅彦の様子を見ていたら、
今後浸透したって良いのかもしれませんね。
大切な人に想いを伝えるのだったら、手紙や遺言書でも出来るんだろうけど、
亡くなってからの葬式だったら、
本人も相手も「会いたかった…」という後悔が残るばかりでしょうから…
終わりを迎える前に会えた方が、双方にとって幸せですよね。
私たち視聴者が最後に雅彦を見たのは、桜の木をじっくり噛み締めながら見上げた時でした。
雅彦のソロカットが数秒間映されてからCMに入ったので、
ああ、なんてタイミングで…(もっと見たい…)と最初は思いつつ。
本作は今まで、結婚式や余命までのカウントダウン、辛くても悲しくてもやって来る”明日”、
雅彦への容赦ない病気の進行を通して「時間は待ってくれない」を描いてきたからこそ、
CM明けになって、雅彦亡き後の残された人たちの日常を描くのも”らしい”なぁと言いますか。
雅彦がご臨終で、瞳が「お父さん!」なんて泣きながら縋り付くシーンや、
視聴者を泣かせようとして、部屋で2人っきりの状態で、
ベッドに寝ている雅彦が長台詞を言うシーンを一切入れなかったのも、
暗い雰囲気にさせたくない彼の意向を汲んでいるのが感じられる他に、
2人だけの時間を尊重してくれているかのようで、良かったです。
人生ノートに書かれた「全部伝えた!!」も、雅彦の声ですぐさま再生されて、また涙…。
人にはいつか必ず死は訪れる。
しかも、いつ、どうやって死んでしまうのかも誰にも分からない。
大切な人の悲しい旅立ちがあったとしても日常は続いていく訳で、
涙や後悔で明け暮れる日々にしないためにも、今を悔いなく生きて欲しい。
一馬(濱田岳)と龍之介(石塚陸翔)と一緒に笑顔を絶やさない瞳のラストシーンを見て、
そんな、脚本家のメッセージを感じさせる最終回でした。
他の感想がいろいろと溜まっているので(いや、書いてね…さすがにね?)、
実は本作の最終回の感想はスルーするつもりだったんですが、
リアタイしていて、ついつい書きたくなってしまいました。
久しぶりに書こう…そう思わせるくらいの内容だったって事です。
“死”を扱っているので、こんな表現も変かもしれませんが、
なんかね…多幸感でいっぱいです。
良い意味で「演者」と「中の人」の境目がない
奈緒さんと木梨さんのやりとりももちろん良かったですが、
何より、シーンごとに流れる劇伴のチョイスも、頻度も、音量も常に完璧で。
主題歌含めて、静かで温かい世界観を作り上げる音楽のセンスが光った
作品だったとも思います。
Source: りんころのひとりごと。
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