肥下の戦いは史実でも有名な戦となります。
趙が率いる最高峰の武将である李牧が北方から幽繆王に召還されて大将軍になる戦いでもあります。
よって史実ではこれよりも前に李牧が秦国と戦ったことはありませんでした。
秦国からすれば突然現れた李牧という大将軍に秦国は初めて統一を行うと決めた後の戦いで敗北します。
これには秦国中央部も驚愕したことでしょう。
キングダムでは李牧には秦国は王騎将軍の戦いでも敗北しているので珍しい話ではないかもしれません。
しかしこの肥下の戦いでは、あれだけ最強クラスの強さを誇っていた桓騎が敗北するという衝撃を受けることになります。
またも六大将軍の一角を崩す李牧の強さが見える戦になるでしょう。
李牧は趙全軍を率いて桓騎と戦った
史実を見ると桓騎はまず宜安と赤麗を占領しました。
これはキングダムも同じ流れを踏んでいます。
この時点で幽繆王(キングダムでは人の上に乗っていたヤバい王様です)が北の防衛で名を馳せていた李牧を南下させて桓騎にぶつけています。
史実においてもこの愚王の唯一の功績は李牧の大将軍登用にあったと言われています。
(但しその李牧を更迭するのも幽繆王ですが)
邯鄲に迫られていたこともあり、この時の軍の規模は趙の全軍に値します。
これもキングダムでは史実に近いものでしょう。
この時代で兵三十万というのは一国の全ての軍といえる規模のものとなります。
ちなみに秦国が最後に楚と行う戦は「秦国全軍六十万」と言われています。
統一間近の秦国ほどの規模でも六十万ということを考えると、まだ戦国七雄のまま分かれた状態の一国が容易した三十万の多さがうかがえるところでしょう。
当時は趙は扈輒を失って、まともに戦える武将がこれ以上いないと思っていたのではないかとも推察できます。
まさか北を守っている李牧がそこまでの実力者だとは誰も知らなかったでしょう。
統一戦における初の敗北
秦国が本気で中華統一を目指してから初めての敗北。
それが肥下の戦いでした。
武将は先程から伝えている通り、趙軍は李牧、そして秦国は桓騎となっています。
この秦国の討ち破りによって秦国の列国侵攻は少し弱まることになります。
まさかこれほどまでの大敗を喫するとは夢にも思っていなかったと言えそうです。
包囲から抜け出した少数兵
宜安周辺で激突した桓騎大将軍率いる秦国軍と李牧大将軍率いる趙国軍。
しかし秦国軍はここで敗北し、多くが葬られる中で一部の少数だけが生き残って秦国に敗走することになりました。
おそらくキングダムでは飛信隊や楽華隊が生き残ることになるでしょう。
壁軍がどうなるかはまだ分かりません。
場合によってはここでの討ち死にも可能性としては視野に入れておく必要があるのかもしれません。
桓騎は討たれる説と逃亡説
問題の桓騎はどうなるのか。
これについては二つの説があり、厳密には「分かっていない」と言った方が良いでしょう。
一つはこの混乱極まる敗戦の中で李牧に討たれるというものです。
要するに桓騎の死。
キングダムでもそうなる可能性は十分にあるでしょう。
もう一つが逃亡説です。
これもキングダムで採用される可能性は十分にあると言えるでしょう。
桓騎が逃げた後に、最後の邯鄲攻略戦あたりで再度現れて秦国を少しだけ救ってくれるような展開もあるかもしれません。
実際に邯鄲を攻略するときは李牧と司馬尚に阻まれて秦国は異常なまでの苦戦を強いられることになります。
その時の総大将は王翦です。
繋がる余波で更に敗北する秦国
肥下の戦いの後に、李牧はそのまま秦国へと侵攻していきます。
ここでも秦国は統一戦を始めてから初の大規模な領土収奪を受けてしまいます。
要するに秦国領土を李牧率いる趙軍に奪われるってことです。
過去にもこの奪い返しを上手くやり遂げた武将はいなかったので、如何に李牧が歴史上でも強い存在と言われているのかが窺い知れるところでしょう。
その戦もキングダムで大々的に取り上げられることになるはずです。
結果的にキングダムにおいて魏との同盟中に趙を討つところまでは到達できず、それどころか奪った領土を取り戻され、なおかつ六大将軍の一角である桓騎を失うという後退を見せてしまいます。
肥下の戦いは秦国において後退を余儀なくされた重要な戦の一つとして認識されているものとなります。
果たして桓騎は生き残るのか、それとも殺されるのか。
キングダムにおける結末にも注目です。
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Source: マンガ好き.com
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