おかしいねぇ…本来だったら、あの仲間達で同じ食卓を囲みながら語り合うシーンも、
7話まで見ていたらそれぞれの不器用だった頃を懐かしみ、感慨深くなるはずなんですけど…
未だにみんなのキャラが掴めない群像劇ほど珍しい作品はないですね。
前回の成瀬(田中圭)の指導のお陰でやっと1人で治療出来た深澤(岸優太)が
なぜか「少しずつ出来るようになってきた」扱いされているのも、
合コンで医者の名前を出すのを拒んで、偏見の目で見られるとかどうのこうの言っていた
高岡(岡崎紗絵)が女医のロールモデルを目指したいと宣言しているのも、
前後の繋がりがなさ過ぎて理解出来ません。
感想を書くために、毎回ちゃんと見ているつもりなんだけどなぁ…(汗)
何と言うか、本作って、医療群像劇において重要であろう
「仲間の絆」や「医者だって1人の人間」を
壁を乗り越える姿を積み重ねた上で表現するのではなく、
ただ視聴者の気を惹かせたいという理由で、
屋上での青春ごっこ、月9と言えば恋愛→合コンといった
若い世代でも見やすいモチーフに置き換えては、記号的に消化している印象が強いのです。
だから、あのシーンが小っ恥ずかしく感じるし。
夢を語り合う台詞に歯が浮くような感覚さえ覚える。
そして…その1つ1つの台詞も長ったらしいので、話の腰を折って
医療ドラマであるという本来のコンセプトを見失いがちになる。
中盤まで揉めていた高岡が、場面が変わったら急にみんなを褒めまくる流れなんて…
その時の記憶失ってました?ってくらい気持ち悪かったです(苦笑)
スイカ割りにしても、差し込む必要があるかないか以前に、
屋上でスイカ割りしたら最上階の部屋の天井に響くんじゃないかとか
いらん心配をしてしまったのでした。
それに、今更な話ではありますが、
ナイトドクターとしての”誇り”や”責任感”を表すために、
なぜデイドクターとナイトドクターとで双方が仕事に励んでいる姿を提示しつつ
前者が治療した患者のケアをするといった”引き継ぎ”を描かないのかも疑問です。
患者にとっては昼も夜も関係ないのに、同じ患者の対応をする描写が一切ないんですもん。
昼か夜の時間帯だけで処置出来るのって…軽傷の患者くらいでしょ?
デイドクターが登場するのも、基本的にナイトドクターに喧嘩売っている時だけで
仕事をしている様子が見当たらず。
一方で、ナイトドクターは大騒ぎしながら処置するシーンが多いために、
下手したら業務を全て押し付けているんじゃないかとすら思えてきます。
「昼の医者にしか診てもらいたくない!」と言っている患者の父がいましたけど、
昼と夜でまともに連携がなっていないように映る病院には
そもそも行きたくありませんよ。
ホームレスのエピソードは詰め込み過ぎてやんわり終わった気がしましたし、
せっかくの泉澤祐希さんもキャストの無駄遣いって感じで…
どこか1つでもマシな所はないんですかね。
デイドクターにしても、日曜劇場だったら、もう「どこか憎めない」くらいに
落ち着いているかもしれないのに…。
↓次回の感想はこちら↓
Source: りんころのひとりごと。
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