<キングダム801話ネタバレ|昌平君の戦争改革3つの柱「戸籍・兵農分離・経済」|展開考察>
昌平君が導き出した中華統一に向けた三つの柱とは何か。
これが成せるかどうかで、中華統一を諦めなければならないかが決まります。
実際に、この時期の秦国は相当に厳しい情勢にあり、後に起こる李牧との戦争で更に敗北することになります。
それこそ絶望的な感情が咸陽を含め、秦国内部に蔓延することになるでしょう。
この柱の達成の前に攻め込まれるであろう秦国。
そこを何とか耐え抜き、次からの一戦、そこからは怒涛の勢いで「中華の国々の滅亡」が見えてきます。
まず滅ぶのは韓ですが、果たして一国目がキングダムで滅ぶのはいつの事になるのでしょうか。
昌平君の行う軍事改革
春秋戦国時代における昌平君は主に秦の軍事改革において重要な役割を果たした人物です。
彼の軍事改革は、秦の統一への道を切り開く上で大きな影響を与えました。
以下に昌平君が行った主な戦争改革について説明します。
1. 中央集権化と兵制改革
昌平君は、各地の軍事力を中央に集約し、秦王の下で統一的な指揮系統を整えることに尽力しました。これにより、軍の指揮系統が一元化され、戦場での迅速な決定と命令の遂行が可能となりました。
2. 兵農分離の推進
彼は兵農分離を推進し、農民と兵士を明確に分けることで、常備軍を維持しました。これにより、農業の生産性を高める一方で、戦時には即座に戦力を投入できる体制を整えました。
3. 法家思想の導入
昌平君は法家思想を取り入れ、厳格な法の下で軍隊を統制しました。これにより、軍紀の厳守と規律の徹底が図られ、戦闘力の向上に寄与しました。
4. 技術革新と兵器改良
軍事技術の革新にも力を入れ、新しい兵器や戦術を導入しました。これにより、戦闘において優位に立つことができ、他国に対する軍事的な優位性を保ちました。
5. 内政との連携強化
軍事改革だけでなく、内政改革とも連携し、秦の経済力と軍事力を総合的に強化しました。これにより、持続可能な軍事力の維持と拡大が可能となりました。
昌平君のこれらの改革は、秦が中国を統一する上での基盤を築いた重要な要素となりました。彼の改革は、秦の強力な軍事力を支える制度的な土台を形成し、その後の歴史に大きな影響を与えました。
キングダムにおいては前話でもあった通り「まずは戸籍作り」から始めています。
これによって人口の把握と働き手の確保、また兵農分離を行うことで常備軍の設置も可能となります。
要するに普段は農民で、戦争の時に集まるというスタイルを変化させることで軍力を強化する狙いと、一定の農業生産性の確保を可能としていきます。
国の内部が潤い、兵力も増強できるというところ。
昌平君が行った三つの戦争改革。
それが戸籍作り、それに伴う兵農分離、そして同じくして可能になった経済成長です。
戸籍作り・兵農分離・経済成長
昌平君の改革は、軍事力の強化だけでなく、戸籍制度、兵農分離、経済政策など広範囲にわたっています。
実際に行われる三つの柱、その施策を見ていきましょう。
◯戸籍作り
昌平君は、楚でも同じですが秦において最初に戸籍制度を強化しました。
戸籍制度の整備により、人口の把握が正確になり、税収の安定と徴兵の効率化が図られます。
<目的と成果>
戸籍の整備は、住民の管理を徹底するための重要な手段でした。
これにより、各家庭の人口構成や財産状況が明確になり、税の徴収や兵役の割り当てが公平に行われるようになります。
また、人口統計を基にした政策立案が可能となり、国家の運営が効率化されました。
◯兵農分離
昌平君は農民と兵士を分離する「兵農分離」を進めます。
これにより、平時に農業生産を担う農民と、戦時に専従する兵士を明確に区別しました。
<実施方法>
農民が戦時に兵士として徴用されることを防ぎ、常備軍を維持することで、農業生産の安定と軍事力の確保を同時に実現しました。
具体的には、平時に農業に従事する人々と、常時訓練を受ける兵士を明確に分け、必要に応じて迅速に兵士を動員できる体制を整えています。
◯経済政策
昌平君は経済政策の改革にも注力しました。
キングダムにおいて呂不韋の得意分野と言えるところではないでしょうか。
農業生産の向上と商業活動の活性化を図り、国家全体の経済基盤を強化しています。
<農業生産の向上>
農業技術の改良や灌漑施設の整備などを推進し、農業生産性を高めました。
これにより、食糧供給が安定し、人口増加を支える基盤が整い、戦時の兵力確保も可能になっています。
<商業活動の活性化>
商業の振興にも力を入れ、交易の拡大や市場の整備を行いました。
特に、戦略的に重要な都市を商業拠点として発展させ、経済の活性化を図り、結果的には戦争における軍事力強化につながっています。
◯総括
昌平君の改革は、戸籍の整備による住民管理の徹底、兵農分離による軍事力と農業生産の両立、そして経済政策の強化による国家全体の発展を目指したものでした。
これらの施策により秦は軍事的にも経済的にも強力な国家となり、戦国時代の激しい競争を乗り越える基盤を築く結果となります。
参考文献:
– 『史記』秦始皇本紀
– 『睡虎地秦簡』
– 李開元『末代楚王史跡鉤沈』
– 田余慶『秦漢魏晋史探微』
危険を感じて李牧が攻め入る
昌平君が秦と楚で行った改革が完了する前に、趙の名将李牧が秦国への侵攻を開始しました。
◯李牧の焦り
どう考えても復活不可能なダメージを与えたはずの秦国。
しかしながら昌平君のとんでもない政策の立案と、その実行によって急速に回復する大国秦に対して、李牧は自らが赴いて領土への侵攻を開始し、改めて絶望的なダメージを与えるべく戦を仕掛けます。
◯秦への侵攻
昌平君が行った改革が完了する前に、趙の李牧は秦国に対する侵攻を開始しました。
この行動は、昌平君の改革が秦の軍事力を増強し、趙にとって脅威となることを察知したためです。
<攻撃の背景>
李牧は、秦が楚との戦いにおいて兵力を集中させている間隙を突き、秦の領土を攻撃しました。
この戦略的な侵攻は、秦の軍事力を分散させ、昌平君の改革を妨害する目的がありました。
<侵攻の経過と結果>
李牧は秦の東部地域に対する一連の攻撃を実施しました。
彼の巧みな戦略と指揮のもとで、趙軍は秦軍に対して再度の勝利をおさめ、秦国は中華統一への道を大きく後退させる、おとになります。
しかし、昌平君の政策が進み、結果的に秦の反撃により、最終的には李牧は更迭され、処刑されてしまいます。
<影響と意義>
李牧の侵攻は、秦の改革を一時的に妨げるとともに、戦国時代の複雑な軍事均衡に大きな影響を与えました。
昌平君の改革は完全に達成されることなく中断され、これにより秦の軍事力と経済力の強化が遅れる結果となりました。
しかし、李牧の侵攻後も、秦は最終的に戦国七雄を統一する力を持つこととなります。
李牧の行動は、戦国時代における戦略的思考と軍事的卓越性を示す重要な事例であり、秦の統一への道のりにおける重要なエピソードとして歴史に刻まれています。
またキングダム801話の新情報が出次第、改めて記事を更新していきます。
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Source: マンガ好き.com
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