血の轍111話のネタバレ含む考察となります。
※本編ネタバレを含みますのでご注意下さい。
父親と会う約束をした静一です。
現れた父親との何でも無い会話。
別れる時に「静子とは一生会わなくてもいいのか」と確認する父。
静一は当然だと言って、妄想の中のしげちゃん登場。
中身は死んでいて外側だけで生きている状態だと言っています。
哲学的な要素が高まってきた血の轍111話を考察していきます。
年を取った父親
読者としても父親の印象はほとんどないでしょう。
最後に見た時はどうすればいいのだと悲壮感に暮れた顔をしていました。
実際に自分の身にこの父親と同じことが起こったら、何も考えられずに苦悶の日々を送る人も多いのではないかと思えます。
そんな父親が静一のもとを訪ねます。
「こんなとこに住んでるんか」と一言。
部屋はゴミだらけながら少しだけ脇に寄せているのが見えます。
静一にとって僅かばかりの気遣いと考えていいでしょう。
しかし父親は「散らかっているから外に行かないか」と誘い出しました。
本質的な息子の心配をするタイプの父親ではないのが分かります。
散歩をする父と子
外に出て散歩をしながら公園にたどり着きます。
そこでは夫婦と子供が楽しそうに手を繋いでいるところ。
一般的に見える風景も、静一と父親にとってはすでに叶わぬ夢です。
それを見ないように父親はしていました。
そのまま商店街の居酒屋に入る二人です。
三十六歳の静一と六十三歳の父親
居酒屋に入って二人で酒を酌み交わします。
何でも無い会話。
「最近どうだ」「飯は食えているのか」
どんな親でも聞きそうなテンプレートの質問。
そして「いくつになったんだっけ?」と父親とは思えない一言も出ます。
それだけ長く、しかもほとんど会っていないのが分かるところです。
「36だよ」
父親は63だと言いました。
これまでを振り返って早かったような、長かったようなと曖昧に流れてきた時間を示唆。
飲みながらさらに突っ込んだ質問。
「静一は相変わらず一人なのか」
静一はこんな人間が誰かといられるわけないと言います。
父親はいつもの通り「ごめんな、何もしてやれなくて」と一言。
本心から言っているのでしょうか。
確かに罪悪感はあれども腫れ物に触るないように努めて、時折懺悔のように一言、その言葉を投げかえているだけな気がします。
大人になっている静一は父親に対して「こんな人間を見捨てないでくれただけで十分」とまた同じテンプレートのような感謝を述べました。
これもこれで静一の内面から湧き出る本心ではないでしょう。
それも父親は分かっているはずです。
すべては形だけの繕われた関係です。
静子には会わない
夜になり、駅前に送り届けた静一です。
仕事でこっちに来ていたといった父親でしたが、実際は静一に会いに来ただけなのかもしれません。
それもポーズとしての親子を演出するためでしょう。
そんな父は別れ際に「静子とはもう一生会わないままでいいんか」と確認します。
静一は真っ直ぐな死んだ魚の目をして「どうでもいい。当たり前」と放ちました。
別に攻撃的な要素もなく、かといって何かを期待する訳でもない瞳。
父親は「わるいそれだけだ」と言いました。
恐らく静子に何かあったのではないかと思えます。
癌などの病気で余命も僅かなのかもしれません。
だとすれば、このタイミングで無理やり訪れた父親も理解出来るでしょう。
妄想の中のしげちゃん
一人歩きながら静一の中にいるのは、しげちゃん。
「もうじきそっちに行くから」と言う静一です。
すでに中身は死んでいて、外身が死ぬまで行きてるだけだと静一は言っています。
笑っているような微笑んでいるようなしげちゃんと手をつないで「帰ろう」と夜の道を二人で歩きました。
血の轍111話は一つの静一の最後の生き方そのものが描かれたようにも思えます。
ここからさらに一つの問題が発生するとも思えない展開です。
このまま罪を犯し、人に捨てられたと感じてしまった静一が何事もなく、それでも背負続けて生きるというエピローグで終わってもおかしくないでしょう。
次回は12月24日発売のスペリオールにて連載されますのでお見逃しなく!
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Source: マンガ好き.com
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