人の本質を考え抜いた韓非子。
世の統治をこの韓非子の思想から影響を受ける嬴政は史実にもあります。
ただし後にこの韓非子と李斯との立場を取り合う激戦になるとは今の政も知ることはないでしょう。
そして信に対して問うた韓非子。
「人は生まれながらにして善か悪か」
いわゆる性善説と性悪説について聞きます。
“人の本質”がどこにあるのか。
邪悪の代表格に思える桓騎のもとで過ごした信ですが、それもまた本当はどうだったのか。
信としてもこの韓非子の問いと真剣に向き合うことは今後の迷いを断ち切るために必要かもしれません。
哲学の領域に入り込みそうなキングダムの展開です。
韓非子の思想は秦国にとって重大なもの
信の答えによって韓非子が騰たちについていくか決まる。
洛亜完大将軍の副官であるヨコヨコは信にそう言っていました。
信は様々な敵味方の姿を見ながら”人とは”を見てきた人物です。
ただし、それを言語化可能かと言われればそうとは限らないもの。
言葉に出来ない信ではありますが、韓非子はそこからも何かを感じ取るのではないかという気がします。
おそらく信は性善説の立場のような感覚を持っているのではないでしょうか。
普段の言動からも“人が生まれながらにして悪”という発想を持っているとは思えません。
もちろん性悪説は単純な”悪者”を伝えているのではなく、言ってみれば“利己”を軸として生きるというもの。
現代においても二分するような思想でもありますが、日本人は比較的性善説の立場を取る人が多いとも言われています。
それは日本には儒教的な考えが浸透している部分があり、その儒教の中心的な考えが性善説だからです。
ちなみに秦の始皇帝は後に焚書坑儒と言って儒学者を埋めて書物を燃やすという行動に出ます。
その意味でも嬴政はどっぷりと性悪説を問いた荀子の弟子である韓非子の考えに影響されていくのが分かります。
ある意味で信と嬴政の思想が反駁し合うような局面が見えることになるのか。
韓非子の考えとは対立する信
先にも伝えた通り、信がどちらの立場を取るのか。
どこか性善説の立場に立っているようにも思える信です。
だからこそ最初から人が利己的で弱い存在とする性悪説とは相反するようにも思えるところ。
修練によって善の状態を作れるものであるとする韓非子とは相見えない気がしてなりません。
そうであれば韓非子が秦国に向かうことを拒否することもあるでしょう。
そうなってしまうと問題。
騰がこれに対して何かしらの言葉を残すのか。
それとも信は韓非子の思う本質に届いていることがあるのか。
案外この韓非子連れ出しという任務も一筋縄ではいかないような気がします。
後に行う韓との戦い
まだ韓との戦いは起こりませんが、後に騰が率いる軍によって新鄭は陥落することになります。
この戦を盛り上げる意味でもキングダムではここで第一将軍である洛亜完の凄みも感じておく必要があるかもしれません。
六大将軍である騰に対しても一切臆することのないという洛亜完の姿だけでもそれを感じますが、さらに思想的に整ったのが韓ということになれば戦時には壮絶な力を発揮する可能性があります。
それも踏まえた上で騰は別の視点で韓を見ているのでしょう。
史実では騰は韓の出身ですがキングダムでもそういった過去が語られることになるのか。
この点も注目したいところです。
韓非子は死ぬことになる
史実では韓非子は秦国に向かいます。
嬴政に大きな影響を与える韓非子ではありますが、これが李斯の危機感を煽ってしまう結果に。
同じ師のもとで学んだ李斯と韓非子。
ちなみに師というのは性悪説を問いた荀子で間違いないでしょう。
そしてより優秀なのは韓非子だと李斯自身も思っていたのかもしれません。
明らかに自分の立場を悪くする韓非子の存在を驚異に感じます。
最終的には嬴政に対して讒口して韓非子を投獄させ、最終的に服毒自殺させてしまいます。
もし韓非子が生き続けていれば、秦の始皇帝の圧政もまた少し違ったものになっていたのかもしれません。
果たして信と韓非子の会話はどう発展し、最終的にどんな着地を見せるのでしょうか。
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Source: マンガ好き.com
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