至極京が女か、男かの論争について。
十字架のろくにんにおける最凶のラスボスである至極京。
そんな至極京は可愛い顔立ちから「女性ではないのか」という話が時折出てきます。
実際に同じく十字架のろくにんの一人である久我は至極京に対して強い欲を感じていました。
但しこれは久我だからこそであり、女性だからということではありません。
至極京を男とミスリードさせる意味合いが全くないことから、男だと考えて間違いないでしょう。
至極京は女ではなく男
ほぼ確定ですが、改めて至極京が女ではない理由を確認していきましょう。
先述の久我の描写ですが、そこでも「予行練習」ということで「男はケツ」なんて発言がありました(十字架のろくにん56話参照)。
至極京への想いが爆発している久我ですが、至極京が男だからこそ、予行練習がそうなるのでしょう。
そう考えると至極京が男であるのは確定的と言えそうです。
またそれだけではなく至極京のことを少し知れた十字架のろくにん65話でも多くのことが男性的な一面場面として描かれています。
身長や体重、そして平凡な両親から生まれた突然変異の悪であることが記された回です。
そこでは運動神経などの話の中で「バスケットボール部に所属」と書かれています。
そのシュートフォームは女性の主流であるツーハンドではなく、男子バスケット主流のワンハンドになっていました。
確かに世界標準ではワンハンドが女性でも主流かもしれません。
しかし現実日本では代表クラスでもツーハンドでの実践が基本になっています。
至極京だから、そこは当然女性でもワンハンドと考えられるかもしれません。
ただ至極京を取り巻く周囲も男性で構成されているのはさすがに違和感があるでしょう。
バスケットのワンシーンは周囲が男性となっています。
柔道も同じで小学校から続けている黒帯の実力者である至極京。
それに立ち並ぶのは全て男性です。
強引に「男性が相手をしないと話にならないほど強い」などと考えれば女性と言えなくもありませんが、そこが物語の本筋とは違いズレが生じるので、ここは純粋に「男性」として間違いないでしょう。
仮に漆間俊に実は妹や姉などがいて、という話が序盤にされているのだとすれば隠す意味が出てくるので可能性はあったと言えるでしょう。
要するに「男性と思わせて女性でした」とする意味がストーリーとして不要なものになるということです。
大人版の至極京は少し男の要素強め
高校生までは可愛い顔であり、たしかに女に見えなくもありませんでした。
しかしながら革命倶楽部を本格始動させていた大人バージョンの至極京は少し違います。
十字架のろくにん100話で初めて大人版の至極京が登場しています。
左目に漆間がつけた傷が残っていて肩くらいまでのサラサラな黒髪。
パッと顔だけ見れば女性的と言えなくもありませんが、やはり体つきが男性そのものでしょう。
ふわっとした服装ではありますが、女性的な膨らみは一切ありません。
わざわざ隠すつもりもないようなティーシャツを着ているので、ここでも女性が男性のフリをしているのだとすれば違和感が強まるでしょう。
確かに至極京が服を脱ぐような局面はありませんが、以上から見ても「至極京=男」と考えて良いのではないでしょうか。
物語は復讐に重きが置かれていて、どちらでも良いと言えば、どちらでも良い話ではあります。
単純に男性と思わせて女性でしたというミスリードを起こさせる意味は無いため男性と考えておいて間違いなさそうです。
果たして漆間俊は至極京の命の支払いで、この復讐をやり遂げることができるのでしょうか。
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Source: マンガ好き.com
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