<十字架のろくにんネタバレ189話・190話・191話【考察】右代と円と久我の罪で全員の始まり終了>
189話が右代。
そして190話が円で、191話が久我の罪の始まりとなりました。
それぞれ特徴のある始まり。
人間の中に宿っている闇の部分を表面化させた至極京です。
右代の始まり
右代は母親の性行為を見たことから、闇が広がっていました。
そして、その点に強い関心を持ちながら告白してきた少女への乱暴。
自分自身も少年だった訳ですが、そこから一気に歪んでいったのは間違いありません。
円の始まり
ザ・マザコンと呼べる人物。
自分を見下す人間に対して、制裁と思えるような行為が始まりでした。
橋から川に落とされた少年は、円に恐怖を感じているところ。
自分自身が上位でいること、つまりマウントを取れる状態の気持ちよさの開花がありました。
久我の始まり
兄貴に暴力を受けていた久我。
だからこそ弱いものイジメを許さずに正義のスタンスを取っていました。
ただ、それ故に孤独になっていく久我。
そもそも助けた苛められっ子と一緒にいても面白くもありません。
結果的に、自分が助けた弱き者に対して振るう暴力。
弱きをくじく快感を覚えた久我は、今の久我そのものと変貌を遂げました。
至極京がやりたかったこと
至極は死を体感することで、自分自身の中にある闇を表面化させていました。
それを他のみんなにも味あわせたかったのか。
それとも、特にこの四人の中にある闇の深さを感じ取ったのでしょうか。
準備を行い、親友だった漆間にも、同じように開放感を得て欲しいと思ったのかもしれません。
漆間の中に闇がなかった
漆間を見ると、家庭環境は良好。
自分自身の中にも劣等感を抱くようなものもなく、そういう意味では闇を抱えるに至っていません。
よって何をしても至極が考えるような状態にはならなかったでしょう。
だからこそ、至極はその闇を作り出しました。
両親の死。
祖父の死。
翔の死。
そして、漆間についても復讐という名の殺人を繰り返し、その後ではジュージカという名のもとで正義の鉄槌としての殺人を繰り返しました。
また途中では安西全一という無実の人間まで手をかけて殺めていました。
これだけ抱えた闇。
至極が作り出したかった状況が、ここで仕上がったということなのかもしれません。
そして至極が与える二択。
おそらくは誰かを救えば、誰かを救えないという究極の二択のようなものになるでしょう。
漆間VS至極の本戦が始まります。
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Source: マンガ好き.com
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